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2005年02月27日

戦争勃発

それはオペラの殿堂ミラノ・スカラ座に、です。

支配人のフォンタナ氏と、指揮者ムーティの仲の悪さは有名でしたが、フォンタナ氏が支配人を解任された事から、全面戦争の様相を呈して来ました。

ついに昨日の新聞に
『すべての“プリーメ(それぞれの演目の初日)をストライキ、そしてリッカルド・ムーティの指揮する「Sancta Susanna (P. Hindemith)」「Il dissoluto assoluto (A. Corghi)」をブロックする』
(スカラ座労働者総会)
と出てしまいました。

まぁ、日本の方にはビックリの内容でも、こっちに住んでいた人には、

「あら、ついにやっちゃった?」

と言う感想でしょう。
と言う事で、今までのだいたいの経緯をお知らせします。

『la rottura 断交』
2003年7月:カルロ・フォンタナ(スカラ座支配人)とリッカルド・ムーティの間に危機が勃発。劇場の芸術的選択(演目)に付いて物別れに。新シーズンのプレゼンテーションで、ムーティ氏は記者会見を放棄。

『il rifiuto 拒絶』
2003年9月:ムーティとの衝突を解決するため、フォンタナ氏に(スカラ座)運営委員会の副議長の役を引き受ける様、提案があるが、支配人は拒絶。

『il terzo uomo 第3の男』
2003年10月:カリアリの支配人だったマウロ・メーリ氏が(スカラ座に)着任。第3の男は、スカラ座芸術監督と(ミラノ市の?)スカラ座局長に就任。
メーリ氏は、次期スカラ座支配人にノミネートされています。

『guerra fredda 冷戦』
2004年10月:ムーティ氏とフォンタナ氏の間の衝突は激化。スカラ座の改修後の12月7日の初日(恒例のスカラ座の新シーズン開幕日)の為の、劇場の再開に関しての決定は悉く凍結される。

『la revoca 解任』
2005年2月:スカラ座の Cda(団体の名前…何の略だか分りません。調べておきます)が、アルベルティーニ氏(ミラノ市長でスカラ座の総支配人)に、フォンタナ氏に“協議の上の別居(合意の上でムーティと別れる?)”がおこなわれる様、要請。
ところが、
2月24日フォンタナ氏は“客観的理由”により、支配人の任を解かれる。

これは、2月25日付のイタリア紙“la Repubblica"の紙面の1部を、拙いながら、ちょっと訳してみました。(読み返すと、本当に下手!ご免なさい。)官公庁やスカラ座内の役職名とかが良く解らず、その上、人物がどういう経歴か分らないので、誤訳、迷訳を御許し下さい。

で、ムーティって芸術監督だと思っていたら、音楽監督だったんですねぇ!今回の騒動で分りました。

あとスカラ座のCdA(Consiglio di Amministrazione-コンシーリオ・ディ・アンミニストラツィオーネ-: 運営委員会)は、どうもフォンタナ氏寄りみたいです。また、解任の文章はイタリア首相ベルルスコーニ氏の側近/ブルーノ・エルモッリ氏が書いたという情報もでています。

あ、これ、確実じゃないですから、一応、うわさ程度で了解して下さい。

投稿者 Mamoru : 22:48 | コメント (0)

2005年02月25日

そして…

その後、私がイタリアに舞い戻ってからです。

まだ、イタリア人のメンタリティが分っていなかった私は、パオロからの連絡を待っていたのでした。
しかし、いつまでたっても、車がどうなったかの話が来ない。それで、思い切って尋ねてみると、

「ああ!そう言えば、話したね!!
 あれ、まだあるよ。
 要る?…そう、今、郊外のとある所に預けてあるんだ。
 じゃあ、日を決めて、今度一緒に行こう。』

何とも簡単に、話が進んだのでした。 (・・;)

しかし、この年のモデナは寒かった!
何度も雪が降り、その為、郊外は勿論、市内も、いつでも雪が残っている状態。
そんな中、パオロが車で迎えに来てくれ、郊外の“ある所”へ連れて行って呉れたのでした。

ある所とは、『中古車販売センター』で、車を持っていた彼らが、
お金を払って委託し、販売を頼んであったらしい。

それをタダで貰って良いのだろうか?

事務所に行き、日本に帰った時に、さりげなく?取っておいた『国際免許証』を提示し、
その他、滞在許可証など、必要書類を提出して、車検証等を確認し、書類にサイン。
これで、法的に車を所有することになりました!

「では、車を停めてある所へ御案内します。」

とお店の人と一緒に外に出ると…一面雪!


(・・;)   どこに、車が?


いくつも山があるから、その中に車が居るのは分るが、
車種なんぞ、判りゃしない。

「ええと、確かこの辺に…。』

幾つか発掘してみて、やっと1台の前で

『あった!』
「おお、やっと!』

出て来た車は、ちいちゃくて、凍えそうに寒そうで…。
堅く締まった雪がこびりついて、なんとも頼り無さげに見えます。
係員がドアを開けて、中に入り、エンジンを掛ける…。

掛からない!どうやっても、掛からない!!

どうしようもなくて、係員が新しい車(自分の車?)を回して来て、
私の車の前につけ、両方の車のボンネットを開けて、
バッテリー同士を繋ぎます。

私の車のボンネットの中は、ガラガラの隙間だらけで、
どこにエンジンがあるの?と言う位、ちっちゃい機械が入っています。
たった牛乳パック1本分の排気量(1000cc)しか無いエンジンが、
クィンクィン…と声を立てながら、必死に永い眠りから起き上がろうとしている姿は、
泣けて来そうな位、いじらしい。

一体、どれくらいの時間が経ったでしょうか?
突然、バゥンと言う音と共に、エンジンに火が入りました!!!
今迄の鬱憤を晴らすが如く、狂った様に回るエンジン…。

『これで、大丈夫でしょう。
 ここのレバーがチョークです。寒い日には、これを引いてエンジンを掛けて下さい。
 まだ、ちょっとエンジンが暖まりきっていませんから、少し引いたままです。』

係員はそう言うと、スペアのキーを私に渡して呉れました。
中に入ると、小さい割には広い室内。
多少、すり切れた内装ですが、なかなか良い感じです。
室内灯も電装系も、大きな問題は無さそうです。

帰りは、まだ道を良く知らない私を、
パオロが先導してくれたお陰で、迷わず家まで帰りました。

私の家に着いた所で、二人とも車を降りて、がっちり握手。
パオロに心からの感謝を伝えました。

『あの車、外に駐車して雨に濡れた後とか、
 ちょっとエンジンが掛かり難いから気をつけて!
 まぁ、君の家にはガレージがあるから、大丈夫だと思うけどね。』
『そう?じゃあ、外の駐車場(私のパラッツォには屋根無しの、
 表の駐車スペースがある)じゃなくて、必ず地下のガレージに仕舞う様にするよ。
 本当に有り難う!何から何まで…心から感謝するよ!』

こうして、初めて住んだ海外のイタリアで、初めて車を所有する事になったのでした。

投稿者 Mamoru : 23:28 | コメント (0)

2005年02月21日

ラジオでオペラ9:「連隊の娘」 ドニゼッティ

今回、戻って来て1回目はドニゼッティの『連隊の娘』でした。
この作品、有名なのに1回も通して聴いた事が無かったので、楽しみにして居りました。

この公演は、今年の2月11日に、ジェノヴァのカルロ・フェリーチェ歌劇場で公演されたものの録音でした。

キャストは
Marie, giovane vivandiera:Marie Patrizia Ciofi
Tonio, giovane tirolese:Juan Diego Florez
Sulpice, sergente:Nicola Ulivieri
La marchesa di Berckenfield:Francesca Franci
La duchessa di Krakenthorp:Maurizia Burlando
Hortensius, intendente:Dario Benini
Un caporale:Filippo Bettoschi
Un paesano:Manuel Pierattelli

Orchestra e Coro del Teatro Carlo Felice di Genova
Direttore:Riccardo Frizza
Regia:Emilio Sagi
Scene e costumi:Julio Galan

勿論、イタリア語ではなく、フランス語での上演でした。
結果は大成功!

今をときめくテノール:ホァン・ディエゴ・フローリツと、まさしく旬と言えるマリーエ・パトリーツィア・チョーフィのコンビに、近頃良く聞くニコラ・ウリヴィエーリが入るとなれば、期待は高まると言うものですが、それを上回る出来だったのでしょう。

残念な事に、録音そのものはあまり良くありませんでしたが、会場の盛り上がりは凄い!の一言。
有名なハイC連発のテノールのアリアでは、歓声に応えてフローリツがアンコールをするオマケまでつきました。

日本では、ロッシーニの人気が無い為に、ピンと来ないかも知れませんが、こちらでのロッシニアーノ(ロッシーニ歌い)の人気は凄くて、フローリツはまさにその典型です。
この手の軽い声のテノールは、日本では見向きもされませんが…。 (いえ、彼の場合は見た目だけで見向きされていますが)

そして、ソプラノのチョーフィが素晴らしい出来!ビックリです!!『拍手は全部、ボクが貰う』フローリツを向こうに回して、1歩も引かないがっぷりよつ。テクニッック、声、演技(声の)のキラキラ感、台詞の言い回し(フランス語でしたので、良く解りませんでしたが)の軽妙さ、えがった!声の調子そのものは、彼女の方が上だったでしょう。

あ、このオペラ、オペレッタみたいに台詞があるんですね。知りませんでした。『2幕のオペラ・コミック』とあります。

そうそう、ニコラ・ウリヴィエーリも立派な声で、舞台を回して居りました。良い声のバリトンですね。

この作品、とっても洒落た作品なのですね。フランス物だからなのかな?音楽がとっても小粋な感じです。そうそう、序曲で『イル・カンパネッロ』(同じくドニゼッティの作曲のオペラ)の最後の2重唱のモチーフが使われていたりして、びっくり!時代を感じます。(笑)あ、この序曲はなかなか楽しいですよ!舞台(スイスのチロル?)、状況(軍隊)の感じが良く出ています。

『イル・カンパネッロ』は1836年1月1日にナポリで、『連隊の娘』は 1840年2月11日にパリで初演されていますから、『イル・カンパネッロ』からの転用でしょうか。勿論、もっと古い作品に使われている可能性もありますが。(苦笑)

あぁ、こんなに色んなオペラをやっているんだ…この国。落ちたりと言われても、まだまだ本場ですねぇ!!!

投稿者 Mamoru : 12:01 | コメント (0)

2005年02月12日

『Hermes』 ,ci picchia !

4074414_51.jpgわが、モデナで…と言うか、ヨーロッパで最初で最後?の名物喰い処。
モデナのチェントロにある、このトラットリーア、美味い!
さらに、スローフード協会に所属しているらしく、安い!

しかし!!! 問題が…。

店が大きくないので、タイミングを逃すと、「あと、1時間したら来てくれ!」になる。昼しかやっていない。そして、イタリア語(正確にはモデナ語?)が話せないと、料理が注文できない。当然、メニューは置いていない。要するに…その日に入った食材で、一番美味いものを作る!だから、ヘルメスの親父が言ったモノを注文すべし!の店である。このモデネーゼ(モデナ人)の親父と話が出来なくては、この店に来る意味が無い。

そして、この名物親父、ヘルメスがこの店を、モデナ最高にして、最悪の店にしているのだ!!!

まず、客を呼びつける。それも「やい、赤ん坊ども!」
そして、グラスを投げる! 皿も投げる!! ワインもボトルごと、投げる!!!

注文を取りにくると、
「おまえ、今日はこれを食べるな?!」
ヘルメスが、こちらの食べるものを決める…。

しかし、これが正しいのだ。ヘルメスが言った料理を、順番に上から頼めば、確実に顔がほころぶ。美味いんだ、これが!そうでないものも、作ってはくれるが、当然、ヘルメスは不機嫌になる。厨房を立った一人で仕切る、彼の奥様が『今日は、これね』と言うモノが、彼の言う「本日のメニュー」なのだ。

彼の愛する奥様が、このトラットリーアの小さな厨房から造り出す皿は、みな、地元のロマーニャ料理。家庭料理の筈なのに、極上になる。

みな、このとんでもない親父と、その奥様の作る料理が大好きで、この店に来る。

早くに、この店に来た人なら、こんな情景を見られるだろう。
まず、ヘルメスの親父が、
『出て行け!』
と、店の中に座っている人達を、追い出すのだ。この人達は、言われるまま、すごすごと店の外に出て、たむろしている。あっという間に、店の中はお客でいっぱいになり、大わらわになる。

そして、客が引けると、さっきの人達はゾロゾロとまた、店内に入り、残っていたワインを集めて、一杯始める。この人達は、名物?の常連である。本当の?客が来ている時は、店内に入れてもらえず、お店が閉まる頃に戻って、ヘルメスの親父達と、お食事をとるのである。そして忙しい時は、このうちの誰かが借り出され、ウェイターをやってたりする。

この前は、ヘルメスの息子さんが、店を手伝っていたのだが、
「あなたのお母さんは、一体どうやって、こんなに美味しい料理をつくるんだい?』
と聞いたら、黙ってランブルスコ(モデナの発泡赤ワイン)のボトルを1本、置いていった…。

妻と食べていたら、例の常連の一人が
『女性には、あま〜いドルチェ(お菓子)をどうぞ!』
とトルタを置いていった…。

相席のお隣さん達(モデナ大学の経済学部の学生さん達)が、
『食べて!』
と、ヴィン・サントとクッキーを差し出して来た…。

すべてがこんな感じだから、清算はこうなる。
「ん?そうだな、2人で30エウロ(ユーロ)置いてけ。』

お店のデータ:
店名:Trattoria Hermes
住所:
電話:
予約:不可
営業時間:
しあわせ度:★★★★★
イタリア度:★★★★★

日本語のメニュー:なし
英語のメニュー:なし
イタリア語のメニュー:なし

(イタリア度とは、英語や日本語の通じない度/メニューがあるかないか、英語がついているか/日本人向けに作られているか 等の総合判断です。)

投稿者 Mamoru : 12:12 | コメント (0)

2005年02月11日

馴れ初め…

さて、みひゃえる君とは、我が家(モデナ)の車の事です。このたった1000ccの、小さなエンジンを持つ Fiat Uno のお陰で、どれだけ生活が変わったか、分かりません。バカバカしい話ですが、この小さいイタリア車を、私たち家族だけでなく、仲の良い友人達も、「みひゃえる君」と呼んでいます。

そもそも、私はイタリアで自動車運転免許証を取得した訳ではありません。それが今では、イタリアの免許証を持ち、イタリアのみならず、フランスやドイツ等を走り回れたのも、この子が来てくれたからです。

さて、私の家の大家さんは、取引をしている不動産屋さんをして、
『あの方は、特別に良い人だから…。』
と言わしめる程、真面目、誠実な人物です。そしてフレンドリーでありながら、付き合いはだらしなくならない、私がイタリアで最も信頼する人間の一人です。

彼は、私たちが初めて、不動産屋で契約の為、会った日に、そのまま私を家に招待して、食事を御馳走して呉れました。当時、身重だった奥さんは、旦那さんである パオロ(彼の名前)の車から、東洋人が出て来て、びっくり!予定外の招待客に、大慌てで食事の量を増やして、接待してくれました。

こうして始まった彼らとの交流は、私が日本に一時帰国すると言うと、
『その前に、食事に来ないかい?』
また、モデナに戻ると、
『じゃあ、ちょっと話でもしにおいでよ!』
と、事ある毎に会っては、彼らの家で食事を振る舞って貰う様になりました。

とある日、日本への一時帰国の前に、例の如く、彼らの家に招待されて食事をしたのですが、その帰り道での事、彼の車の中で、妻とトスカーナの丘の上の街、サン・ジミニャーノの話になりました。(彼の家と私の借りている家は、ちょっと遠いので、毎回、彼が車で送り迎えをしてくれていました。招待の上に送迎まで!…良い人過ぎです!!)

私:「実は妻がサン・ジミニャーノへ行きたいと言うので、トライしたんだけど、辿り着けなかったんだ。フィレンツェから途中のポッジ・ボンシまでは行ったんだけど、そこからのバスの接続が無くて。」
彼:「あぁ、それは残念だったね。素敵な街だから、是非、行ってみて。」
私:「けど、問題があるんだ。あそこ、鉄道が通じていないでしょ?妻は、プルマン(長距離バス)に弱いんだ。この前はフィレンツェからプルマンに乗ったんだけど、ポッジ・ボンシに着く前で、もうおかしくなっちゃって…。トスカーナの山道を、かなりのスピードで飛ばすしね。」
彼:「う〜ん、プルマンはキツイよねぇ…。」

そして、暫く違う話題に移り、そして突然、彼が、
「そうだ!ねぇ、クルマ要らない?」
と言い出しました。

私:「! はぁ?」
彼:「ほら、一度、ロレッタ(彼の奥様)が、食事の後、君を家まで送ったでしょ?あの時のクルマだよ。Fiat Uno。」
私:「あ〜、分かった。あの、グレーのだね?!」
彼:「…いや…青だよ…。」
私:「あ…あ、ほら、夜だったから、よく見えなかったんだ!」

古いクルマで退色していたから…なんて言えません!

彼:「で、もし良かったら、使わないかい?今、誰も乗っていないんだ。…あ、お金が欲しくて言っているんじゃないんだ。けど、奥さんとサン・ジミニャーノに行くのに、Uno だったら休み休み、行けるんじゃないかな?」
私:「えっ?!…けど…(ただで)なんて、ちょっと…。」
彼:「あはは、(あげる車は)フェッラーリじゃない! けど、すごく台数が売れた(人気のあった)ポピュラーな車だよ。」

この時は、帰国が迫っていたので、今度帰って来たら話そう、という事になって、分かれたのでした。

投稿者 Mamoru : 18:16 | コメント (0)