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2006年03月19日
劇場でオペラ その2:モデナ 「ノルマ」
さて、ひっさしぶりに劇場へオペラを聴きに行きました。場所は地元のテアトロ・コムナーレ・ディ・モデナ、演目はベッリーニの「ノルマ」でした。
日時:2006年2月19日(日曜日) 15:30〜
場所:テアトロ・コムナーレ・ディ・モデナ
演目:【ノルマ】ヴィンチェンツォ・ベッリーニ作曲
フェリーチェ・ロマーノ台本(原作 “Norma ou L’infanticide” Alexandre Soumet)
キャスト及びスタッフ
ポッリオーネ:フランシスコ・カザノーヴァ
Pollione, proconsole di Roma nelle Gallie Francisco Casanova
オロヴェーゾ:パオロ・バッターリア
Oroveso, capo dei Druidi Paolo Battaglia
ノルマ:ディミートラ・テオドシュー
Norma, druidessa, figlia di Oroveso Dimitra Theodossiou
アダルジーザ:ニディア・パラチオス
Adalgisa, giovine ministra del tempio d’Irminsul Nidia Palacios
クルティルデ:カタリーナ・ニコリチ
Clotilde, confidente di Norma Katarina Nikolic
フラーヴィオ:クリスティアーノ・オリヴィエーリ
Flavio, amico di Pollione Cristiano Olivieri
オーケストラ:アルトゥーロ・トスカニーニ財団オーケストラ
ORCHESTRA DELLA FONDAZIONE ARTURO TOSCANINI
指揮:ロベルト・トロメッリ
Direttore Roberto Tolomelli
合唱:アマデウス・オペラ・コーラス - モデナ市立劇場
合唱指揮:ステーファノ・コロ
CORO LIRICO AMADEUS - TEATRO COMUNALE DI MODENA
Maestro del coro Stefano Colò
アルベルト・ファッシーニのアイデアによる上演
演出:ヨゼフ・フランコーニ・リー
美術&衣装:ウィリアム・オルランディ
照明:フランコ・マッリ
Spettacolo ideato da Alberto Fassini
Regia Joseph Franconi Lee
Scene e costumi William Orlandi
Luci Franco Marri
舞台装置:テアトロ・レージョ・ディ・トリノ(トリノ王立劇場)
制作:財団法人モデナ市立劇場
共同制作:財団法人リヴォルノ“C.ゴルドーニ”劇場、フェッラーラ市立劇場、ピアチェンツァ市立劇場
舞台装置保有者:財団法人トリノ王立劇場、オペラ・シーン・ヨーロッパ=ローマ
Allestimento del Teatro Regio di Torino
Produzione Fondazione Teatro Comunale di Modena
In coproduzione con Fondazione Teatro di Livorno "C. Goldoni", Teatro Comunale di Ferrara, Teatro Municipale di Piacenza
Scene di proprietà della Fondazione Teatro Regio di Torino e di Opera Scene Europa di Roma
キャストは兎も角、スタッフを長々書いたのは、オペラでは出演者以上に、裏方の力が重要だからです。なにせ、歌い手は数人から数十人ですが、裏方は百人単位。その方々の力量で、上演の質が決まると言っても良い位です。
そしてもう1つ。
モデナは決して貧しい市ではありませんが、これだけ共同制作の団体が無いと、上演にこぎ着ける事が出来ない現実を知って欲しいからです。
今回もまた舞台装置等は、他の劇場からの貸し出して貰っています。
新しく装置、衣装を制作するとなると、莫大な費用が掛かりますし、また、それを保管するのに費用が掛かりますから。
今年、政府が相当の額の補助金削減に乗り出し、イタリア中の劇場が抗議の声を上げておりますが、その前から、劇場の懐は寒く、また市の側からみれば、財政上お荷物となった劇場は大変な厄介者でした。その為、かなりの市立劇場が、実際は財団化され、市当局からは独立して採算を取らなくてはならなくなりました。
かく言うモデナも、数年前に法人化されています。
スタッフにしてみれば、劇場に残れば、市職員の地位を失う事になります。当然、年金、退職金等、老後の全てが変わってしまいます。
そうかとは言え、市職員の地位を失わない為には、劇場を去り、一般の職員と同じ業種(勿論、どこに配属されるか分からない)を一から勉強し直す事になります。
舞台が好きで、裏方としての誇りを持って長年働いて来た方には、大変辛い事です。
この財団化によって、退職が近いベテランさん達が悩んだあげく、妻との老後を考えて劇場を去り、
裏方スタッフのベテランを失った新米達が、何をどう動かしたら良いか分からず、右往左往と言う状況が、ここモデナだけでなく、その他の市立劇場でも沢山みられました。
日本でもやっと、文部科学省(?)の海外研修生制度で、裏方さん達の海外派遣がおこなわれる様になりましたが、昔は表の歌手や楽器奏者ばっかりで、日本に帰って来ても、支えてくれる筈のスタッフはゼロ。
そして今でも、プロモーター、オルガナイザーの海外研修をやっていると言う話は聞きません。
いくら踊る人間が増えても、踊らせる人間(裏方や興行スタッフ、興行主)が育たなくては、良い公演は続きません。
いつまでも「引っ越し公演」だけに頼る文化(それが文化か?!)ではお寒いと思う今日この頃…。
さて、そもそも何故、この公演に行こうと思ったかと言うと、モデナに住む友人であり、ピアニストであり、パルマ音楽院の先生でもあり、またモデナの劇場のピアニストでもある方が、
「こんどの “ノルマ” は素晴らしいわよ!是非、行くべきだと思うわ!!!」
とノルマの練習が、テアトロで始まったばかりの頃から、言っていたのです。
私はこの方の音楽性を、大変素晴らしいと思っているので、
「これは行かねば!」 p('-' )
と、ミラノの友人達も誘って、チケットカウンターに走ったのでありました。
しかし、ミラノの友人達が観たがっていた日曜日の公演は …満席。(涙)
売り場のお姉さん:「う〜ん、日曜日は満席ですねぇ。」
わたくし:「その日は、キャストが良いのでその日が良かったのですが…。」
売り場のお姉さん:「バラバラでしたら、2〜3席、取れますね。」
わたくし:「それだとちょっと…それに、その席からでは舞台は見えないでしょう?」
売り場のお姉さん曰く、予約でチケットを押さえた人が、引き換えの期限日(公演日の10日前?…記憶が!)迄に引き換えに来ないと、その翌日からキャンセル分として発売になるとの事。
もしその日、一番で来れば、場合によっては、チケットを買える…と言うので、それに賭ける事にしました。
当日、チケット売り場に行くと、見事、キャンセルが出ていて、チケットをゲットする事が出来ました。席は1階のパルコ席の一番端っこ、オーケストラの横でした。この席は、普通の席と違い、指揮者の顔が見えます。かつ、目の前に舞台が広がっていますから、出演者の表情が間近に見えます。
さて当日、寒いながら雪(雨)も降らず、まずまずの公演日和。
ミラノの友人達(モデナの劇場はクラシックだから、ロッジョーネ…天井桟敷…でさえ、ジャケット&ネクタイで来る位。故にジーンズなんぞで来るな!と警告しておいた)も、なかなかお洒落で、いい感じです。
劇場は、チケットの売れ行き通り、満員。さすがベッリーニの名作とあって、場内は期待で溢れています。
やがてオケが入り、チュウーニングが始まり…いやぁ、いいものですねぇ♪ワクワクします。
そして、明かりの消えたところへ、指揮者の登場です。
オーケストラは、さすがに手慣れたもの。イタリア物ですし、もう既に何度もやっている筈。指揮のロベルト・トロメッリも、手堅く纏めて行きます。
しかし、オケピットの横で聴くと、ロッジョーネ辺りで、どう音が響いているのかは、完璧には分かりませんねぇ。でも、良い感じです。
昔に聴いた、スカラ座のオケピット横のパルコ(3〜4階だった)より、今回の席の方が、音は断然良いですね。
まぁ、スカラ座も改修されたので、今はどうだか分かりませんが。
そして幕開きの合唱とバスのオロヴェーゾ(パオロ・バッターリア)の登場です。
合唱は、いかにもイタリアらしい!
昔、どこかに書きましたが、ピッチやリズムを完璧に合わせるより、一人一人が、思った事を表現してくる感じ。
いやぁ、イタリアだ!
オロヴェーゾは、なかなか男前です。勿論、老人風の舞台姿ではありますが、背は高いし、声楽家にありがちなおデブではなく、すらっとした体型です。
声も良いし、表現もなかなか。
ただ、ちょっと声を作っている感じも…、ええ、本来の声より、ドラマチックにやっている印象を受けます。
そして、本日の主役の一人、ポッリオーネ(フランシスコ・カザノーヴァ)が、友人フラーヴィオ(クリスティアーノ・オリヴィエーリ)を伴って登場です。
ミラノの友人達が言っていました。
「あの、スラッとした方がポッリオーネだったら良いよねぇ…。」
「そんな事、あり得ないけどねぇ…。」
登場した二人は、対照的な体型でした。
一人は、まぁ痩せ形で、ややお年を召された感じではありますが、ロマンスグレー系の髪の毛が、ふさふさと頭を覆ってらっしゃる。
もう一人は…自分の下半身は、まったく見えない体型です。
年齢はきっと見た目程、いっていないタイプ。髪の毛は頭部の一部にのみ、保有しておられました。黒髪です。
そしてっ!3頭身に見える程、素敵なバランスです!!!
(昔、ドクター・スランプ?とか言う漫画がありましたねぇ…遠い目)
二人のレチタティーヴォが始まりました…ミラノの友人の予想通り、細い方がフラーヴィオ、3頭身の方がポッリオーネでした。
そりゃ、そうですよねぇ。それなりの武器が無くちゃ、あの体型で舞台には出て来られないでしょう。
しかしっ!やはり、声も対照的です。
クリスティアーノ・オリヴィエーリ(フラーヴィオ)が典型的なセカンド・テノールの声に対し、フランシスコ・カザノーヴァ(ポッリオーネ)は、立派なプリモの声。
ポッリオーネは、決して調子が良さそうではありませんが、声はバッチリ飛んでいます。
初日(数日前にあった)では、登場のアリアで最高音を上に上げず、拍手が来なかった…と言う事があったそうで、本日は本調子ではなさそうなのに、上に上げて来ました。
さすがに沸きます。
そして、タイトル・ロールのノルマ登場です。
ディミートラ・テオドシューは、既にプリマ・ドンナとしてしっかりとした地位を固めた方ですが(って、私は聴くのが初めてでしたが)さすが、立派です。
声は前に出ているし、ピアノにしてもしっかり響いています。高音に行くに従って、ややスピントの掛かるタイプか。
有名なアリア『Casta diva 浄らかなる女神よ』も、見事歌い切り、満場の拍手を受けておりました。
そして次の場になって、分かりました。
ミラノの友人曰く、
「合唱の中に、凄く目立つ奇麗な子がいる、と思ったらアダルジーザだったのね!」
衣装は皆と同じながら、スタイルも良いし、顔立ちも奇麗な子が、アダルジーザでした。
今回のアダルジーザ、声を聞く限りメッゾソプラノに聞こえない。(本人は、どう考えているか、分かりませんが…スペイン人だと聞きました。)「ノルマ」の初演時は、アダルジーザはソプラノ、それも軽い声だったと聞いた事があります。
今回は、その感じに近い。
すなわち、アダルジーザに比べると、やや重いソプラノのノルマ。既にポッリオーネとの間に、2人も子供をつくっている母。
それに対し、軽い声のアダルジーザ。
若く美しい乙女…。
「これならノルマを捨てて、アダルジーザに移る気持ちも分かるわよねぇ!」(ミラノの友人達談)
ええ、納得です!
これは、ノルマが美しくなかったと言う意味ではありませんよ!美しかったです、ハイ。
しかし、アダルジーザ程、細くなかったのも事実…ええ、既に母ですから。いえ、太かったと言っているのでは、決してありません!
ただ、残念だったが、ノルマとアダルジーザの二重唱。
ちょっとハモり切っていなかった!あれ、ちょっとズレただけで、目立つんですよね。
まぁ、許しましょう。
それから、特にアリアはありませんが、クルティルデ(カタリーナ・ニコリチ)はなかなか愛らしい感じの方。
お婆ちゃんの乳母ではなく、まだまだ若めの乳母でした。
ドイツより北の方で歌っている方らしく、ちょっと声はこもり気味。と言うか、言葉の捌きがちょっと奥と言う感じ。
しかし、今回の私の注目点は、“レチタティーヴォ” でありました。
私の友人の、例のピアニストが、
「テノール(カザノーヴァ)もソプラノ(テオドシュー)も素晴らしいわ。
勿論、アリアは素晴らしい。けれどもレチタティーヴォが凄いのよ。ベッリーニのものには、特別にリズムが書かれている。1つ1つの音符、そして休符には意味があるわ。
彼らはそれを全て汲み取って、表現しているの。彼らは “レチタティーヴォの名人” なのよ!!!」
カザノーヴァは、名前こそイタリア人ですが、イタロ・アメリカーノ、イタリア系アメリカ人です。
またテオドューもイタリア人ではないでしょう。(どこの出身かは分かりませんが、彼女のH.P.によるとドイツ・ミュンヘンで勉強した、とあります。)しかし、その二人が、イタリア人の耳を持ってして、“名人” と言わしめるのですから、頭が下がります。
オペラ1つやろうと思えば、1幕ものでなければ、2〜3時間はかかります。
その中で、1人が歌うアリアは1曲3〜5分位なものでしょう。2、3曲アリアを持っている役もありますし、またもっと長大なアリアの場合もあります。しかし、1つもアリアの無い役だってあります。
そう、すなわち、オペラをやろうと思ったら、アリアよりレチタティーヴォの方が、圧倒的に分量が多いのです!(勿論、重唱もそうです!)
しかしオペラを学ぶ人達で、特に日本人には、レチタティーヴォを学ぶ人間が少ないのが現実でしょう。
「私達も、良い声でアリアを歌われたら、イタリア人か、日本人か、韓国人か、分からないわ。けれども、レチタティーヴォになったら、すぐ分かる!」(同ピアニスト談)
レチタティーヴォをやる為には、まず、その言葉(イタリア語なりフランス語なり…)を ネイティヴの様に話せなくてはなりません。
その上で、その語感と作曲者の残した楽譜から、「なぜ、どういう気持ちで、どんな意図を持って、この言葉を発音されたのか」を探らなくてはなりません。
勿論、これを解決する為には、大変な時間と努力が必要でしょう。しかしまず、それに気づく事が必要です。若い声楽家(古い声楽家も!)が、その必要性を分かってくれる事を願わずにはいられません。
そんな二人の主役が歌う、公演でありました。
でも、この公演を聴いて、そんな事を気にかける聴衆なんて、そんな多くないんだろうなぁ〜〜〜。
華やかなのはアリアであり、重唱であり、コンチェルタートだもんなぁ〜〜。
レチタティーヴォを上手にやっても、日本人には、自然で、何事も無い様に流れて行っているようにしか、聞こえないんだよなぁ〜〜〜。
けれども、レチタティーヴォで変な事やると、イタリア人の聴衆は笑います。
ボローニャ歌劇場で、「セヴィリアの理髪師」をやっていましたが、フィガロ役のバリトンが、餌食になっていました。
いくら良い声が出たって、駄目なものは駄目なんだよなぁ〜〜〜。
さて、舞台道具や美術、場面転換は、伝統的なアイデアを使いつつ、上手にやっておりました。
上からの吊り物を左右に動かし、それで前後を仕切って、観客から見えないところで、裏の道具を動かす等、短い時間で、うまく場面転換をしていました。
衣装も奇をてらった物ではなく、まず伝統的と言って良い物でした。
まぁ、ドルイド教の巫女が、実際どういう服を着ていたか、知りませんけれども。ローマ軍の衣装も、我々が想像する例の衣装でした。
ただ、こういう手堅い、良い仕事を評価する演出家が減った気がするのは私だけでしょうか?
「新しい事をしたい!」と言う演出家の気持ちは分かりますが、内容が新しい事が重要で、衣装や舞台道具を変えれば、内容が新しくなる訳ではありません。
一番重要なところ(音楽、台本)で、何の読み込みをしていないで、格好だけ変えて喜んでいたり、また、あまりに深読みをし過ぎて、観客から「なんだ、それは?」と言われる様な演出をしている方が、多い気がします。
実際、新演出の多いドイツでも、近頃はそう言う演出が、観客からそっぽを向かれ始めているそうです。裏読みの裏読みの裏読みの…になり過ぎて、観客がついて来られなくなったからと言われているそうです。 (ドイツの友人談)
私としては、音楽、台本に本当に書かれている大切な事は、いつまでたっても新しく、価値があると思っています。(だからクラシックが、いまだしぶとく生き延びてるですよぉ〜!)
ま、兎も角…久し振りのテアトロが、良い公演で良かったです!
やっぱり舞台はライブが一番ですねぇ!!!
投稿者 Mamoru : 00:13